父の日に嬉しいこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f1b902080d00113346bd074089def5c886efd20
育児において父は母を超えられない
父の日の歴史は、調べたところ1910年まで遡るようだ。
子育ての中心は、父親と母親における子育ての役割が21世紀になって随分と変化したとはいえ、2020年を過ぎてもやはり母親である。
これは、哺乳類である以上、どんなに文化的に成熟しても超えられないヒトの性だ。
多分、父親と母親で完全に平等となることは、多少の変化はあっても22世紀になってもないのではないだろうか。
母親の喜びと父親の喜び
こういう風に言うと一部のフェミニストの方からは必ず反発を受けることは分かっているが、特に赤ちゃん〜幼稚園までの時期は、父親が母親と完全に平等な役割を担うことはほぼ不可能だ。
なぜなら、男性にとって、出産、授乳のハンデはあまりに大きいからだ。
これまで、文明の発達によって、母乳を代替するミルクの機能は、大幅に進歩してきたが、それでもなお、先進国でさえ母乳育児は古いという論調にはなっていない。
だから、育児に対する喜びは、母親と父親で根底から異なるのだ。
脇役の父親
母親は、妊娠〜出産〜授乳〜育児により、身体的にな変化に加えて生活もガラリと変化するが、父親は、どんなに育児に積極的に関与したとしても、母親の補完、補助、脇役に留まる。
確かに、育児に主体的に参画する父親の数は増加しているので、家庭によっては母親の負担は少なくなっているし、母親も父親の協力に感謝していることだろう。
しかし、仕事する母親と主夫という場合を考慮しても、育児の中心はそれでもやはり母親だ。
子どもは、母親を欲するようにプログラムされているとすら感じる。
赤ちゃんにインプットするのは母親
母親は、以上のような理由で、父親と比較すると子どもの成長をより実感できる。
パソコンに例えると、OSをインストールするのが母親で、各種ソフトウェアをインストールするのは父親の場合もある、という程度だ。
経験者なら分かるだろうが、ヒトというのは生まれてから成人するまで、自分のことを自分だけででできるまで成長するようには設計されていない。
現実的には、母親が、初期設計に少しずつ加えていくという段階が不可欠なのだ。
父親が喜ぶこと
いくら母親が育児の中心であるとはいえ、父親も少なからず参画している。
まだ、多くの場合は、父親が家庭の中で社会的な接点を有しているので、子育ての視点としても社会的な成長の視点から判断している。
だから、父親が自分の子どもに対して喜びことは、その子が社会的に役割を担っていることを実感できた時だ。
あんなに手がかかった赤ちゃんが、例えば地域の野球チームでキャプテンとして他の子を引っ張ったり、入学試験に合格して学校から認められたり、さらには成人して人様の役に立ち、報酬を得ていることだったりする。
そして、父の日のプレゼントとして、人様に利益をもたらしたことで得られたお金の一部で、父親に還元してくれるということは、とても嬉しいことだろう。
念のため断っておくが、これらはすべて2021年時点での一般的な話だ。
未来もこれでいい、という主張ではない。